旗本大嶋石川家 歴代当主様へのお手紙。

 

 

私、石川 英昭(いしかわ ひであき)が

江戸幕府にお仕えした、

直参旗本(じきさん はたもと)の末裔である

事に関しては、別の記事でご紹介させて頂いております。

柳営会・会員としての矜持

今回、わたくし石川家ご先祖様に対して、

ご存命で、ご活躍された時代背景に

触れながら。

私の思い、感想も交えながら、

順番に「お手紙」を書いてみようと

思い立ちました。

第一通目は、

江戸時代、旗本大嶋石川家歴代当主、

初代の 石川 貞當(サダマサ)公に

ついて書かせて頂きたいと思います。

石川 貞當 公は、当石川家開祖と

されている、石川 義時公から

数えて、第19代目にあたられます。

ちなみに、貞當公を初代とした場合、

父が、13代当主、

兄が、14代当主

となり、お陰様で

石川家が子々孫々まで、奇蹟的に

DNAを受け継がせて頂いて

いる事になります。

江戸時代、以前のご先祖様、

特に、石川 家成公や

石川 数正公についても、

歴史好きな方でしたら、ご存じかと

思われますが、いずれお手紙書こうかと

考えております。

なお、本記事を書くにあたりまして、

柴田 知憲氏の

「旗本大嶋石川氏(家禄七千石)の家臣団

文化年間(1804-17)以降を中心に

(豊田市郷土史研究会「研究紀要」第九集 抜冊)

を参照させて頂いております。

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拝啓

石川 貞當 様

初めまして、貴方様の子孫にあたります、

石川 英昭と申します。

旗本として、また石川家の当主としての

お勤め、大役、まことにお疲れ様でございました。

心より敬意を感じます次第です。

時に、阿波守(あわのかみ)との

御通称でいらっしゃったのですね。

なんとも、格調・威厳を感じる

次第で御座います。

私も、石川 阿波守 英昭と

名乗ってよろしいでしょうか笑。

時に、ご活躍されたのは、

慶安時代(1648-52年)との

御記録を拝見しております。

徳川幕府は、

三代将軍、家光公、

四代将軍、家綱公、

であらせられますね。

慶安、といいますと、

歴史の教科書にて、

「慶安の御触書」が有名

であります。

これには、諸説あるようですが、

実際のところ、もちろんご存じでしょうね。

さらに、さらに。

幕職としては、

大番頭(おおばんがしら・おおばんとう)

の役職をお勤めになられていたと!

小生が調べたところでは、

これは警護のお仕事であったようですね。

江戸城の警備主任、司令官様という事で

よろしいのでしょうか??

基本的には、太平の時代。

戦(いくさ)はなかったとしても、

いざ、という時には、江戸城の

騎馬隊指揮官、侍大将の任を

任されていた訳ですよね!

武官として、最高の格式。

同じ、男として、惚れますね。

痺れますね。

当然ながら、将軍様とも

お言葉交わされた事でしょうね。

きっと凜とした、

佇まいでいらっしゃったと

拝察致します。

私自身は、そうした

「腕っぷし」

には、あまり自信がありませんが笑

貞當公の心意気、を受け継いだで

あろう身として、

恥ずかしくないように、

襟を正していきたいと

思った次第でございます。

つらつらお書き申し上げましたが

なにとぞ、ごゆっくり

お休み下さいませ。

お陰様で、一族みな

元気で過ごしております。

いつの日か、冥府・極楽にて

拝謁賜る事を、

楽しみにしております。

平成30年から、慶安4年へ。

石川 英昭 拝

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