直系子孫として、「三河石川一族」展を鑑賞しました!
2018年9月
安城歴史博物館にて
私のご先祖様 ルーツ である 三河 石川一族を
紹介頂く展示会が 開催されました。
戦国時代から
江戸幕府の終焉まで
長きに渡って
徳川家、徳川幕府を支えた
わがご先祖様、
三河・石川家。
私事で恐縮ですが、
まさにこの年、
徳川家臣団の
末裔による同好会である
柳営会への入会も決まり、
ますます、ご先祖様への興味が
募っていました折、
こうした展覧会が開催される事は
とても感慨深いものがありました。
そして、
この観覧には、
岡崎郷土史研究会の
柴田 知憲氏に
ご同伴いただき、
とても詳しい解説も
お伺いする事が出来ました。
※柴田氏との出会い、柳営会に入会するまでのエピソードはこちら。
誰もが知っている 徳川 家康公。
生誕の地、岡崎で 民を束ね 領主として
やがて戦国大名に名乗るにまでに 忠臣として
仕えた、三河石川家の
ご先祖様。
以下、展示会目録より一部引用させて頂きます。
戦国期、石川一族は
真言宗門徒の多い西三河各地に
分出、拡大しました。
一族の惣領家は、現在の
安城市小川町にあたる
小川に居た石川家でした。
この石川家出身の忠成(清兼)は、
家康の祖父清康・父広忠の
重臣であり、本證寺(市内野寺町)の
門徒武士の筆頭でした。
忠成の孫数正と、
息子である家成は、
早くから家康に仕え、
家康の領国拡大や
その統治に貢献しました。
※三河 石川一族展 安城市歴史博物館 展示会資料より引用です。
また展示会 パンフレットには
盟友の 石川 家成公 裏切りの石川 数正公
とありました。
お二人のDNAを引き継ぐ私は なにやら不思議な
感慨に捉われました。
どんな想いで お仕えしたのか?本当に裏切りだっのか?
苦渋の選択で あったのか。。。
組織に生きる 今の男達にとっても
戦国時代の処世術 には 色々学ぶところがあるよう
思います。
家成公は 掛川城、数正公は 松本城と
お二人とも 城主、お殿様であった史実があります。
私も 家族にとっての 一国一城の主人として
旗本・三河石川家 末裔として
誇り高く ワクワク 生きて行きたいです!!
※You tubeにて三河石川家チャンネル公開しています!
現役医師、医学博士。二児の父。
徳川幕府・直参旗本石川家末裔。
ワクワクする毎日を送る事が、健康寿命に効く!
との信念からマインドセット、
食事、生活スタイルについて、分かりやすい情報発信を心がけています。