心が軽くなる、「老子」の人生哲学

※今回は、忙しい毎日でも、心軽やかに過ごす知恵について、

中国古典哲学である「老子」を紹介します。日中の慌ただしい中ではなく、

できれば、夜などに、ひとり静かにお読みいただくとよいと思われます。

 

 

 

中国の古典的哲学書、「老子」を知っていますか?

ここ最近

街の書店の、ビジネス書のコーナーでは、

「哲学」や「思想」といった種類の本が、常に一定数

書棚に陳列されているのが、目に留まります。

そもそも、これらは、どう生きるのか? なぜ生きるのか?

という普遍的ですが、抽象的な命題を扱う学問であり、

洋の東西を問わず、連綿として築き上げられてきた、

人々の思考や行動の指針となるべき、人類の叡智とも言えます。

では、こうした書物が、ビジネス書としても注目されている理由はなにか?

それは、日々仕事などに忙しい我々が、少なからず

「生きずらさ」や、「閉塞感」を感じており、

それに対する、なんらかの

「処方箋」

を求めているからではないでしょうか?

数多くある、思想書、哲学書から、

今回は、「論語」と並び 欧米の知識人にも多大なる影響を与えているとされる

中国古典哲学の

「老子」

について、解説本を参考にしながら書く事にします。

メインのテーマは、

老子から学ぶ、心が軽くなり元気も与えてくれる

「あるがままに生きる」

というメッセージ、です。

 

 

 


驚くべき書物である、「老子」

 

以下、安冨 歩 氏著の

Tao「老子の教え」の冒頭です。

 

老子の教え あるがままに生きる

老子の教え あるがままに生きる

  • 作者:安冨 歩
  • 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2017年06月10日

 

二千年前に書かれたこの本には、具体的な人名や地名がまったく現れない。

それはこの本のすべての章が、抽象的な議論に終始していることの反映である。

そもそも書いたひとの名前すらどこにも書かれていない。

また

「老子」のような抽象的議論が、現代にまで伝わっているというだけでも

驚愕に値する。それは長い年月にわたって人々の思考の指針であり続けたということ

であり、この本の内容の深さと広さの証明である。

と記述されています。

※「老子の教え」序文より引用です。

 

老子や、孔子などは諸氏百家(しょしひゃっか)と呼ばれ、

古代中国大陸で群雄割拠していた、国家群に召し抱えられていた思想家達とされています。

国をいかに統治するか?他国との争い事をいかに解決していくか?

そうした際に、彼らの思考・行動様式が、その指針とされたのだと思われます。

<春秋戦国時代とは?>

周が東西に分裂した紀元前770年から、現在の山西省一帯を占めていた大国「晋」が三国に分裂した紀元前5世紀までの、およそ320年に渡る期間を指す

※Wikipediaより引用

 

 

※兵馬俑(へいばよう)の写真です。古代中国では、兵士及び馬をかたどったて死者を埋葬していました。春秋戦国時代を終わらせ、初の統一王朝となった秦の兵馬俑が最大規模とされています。

 

 

 

世界史の勉強をする過程で、これらについてのある程度の知識はありましたが、

「老子」は実在が怪しい

という事は初めて知りました!

そして、確かに、それにも関わらず、今を生きる我々が、老子のメッセージを受け取り、

子孫にも伝えていけるという事実は、奇蹟的とも言えますね。

それだけ、人々にとって普遍的で、価値を有する

箴言(しんげん)に溢れているのでしょうね。

是非、すべてを紹介したいところですが、以下独断にて、

いくつか具体的な言葉たちを通して、

その思想に触れていきたいと思います。

 


老子の思想の根幹をなす、「道」という哲学

 

老子についての書物には、必ず

「道」

英語では「Tao」という概念が紹介されています。

これらは、今に至るまで学者の研究対象でもあり、

解釈には、実に様々な議論があります。

ここでは、あまり深入りはしませんが、是非一度ご自身でも

「老子」

に関する本をお手にとって読んで、考えてみて欲しいと思います。

今回ご紹介している本では、

「道」に関して

というものは、可能性に満ちたであり、常にどれか一つの道ではない、

名というものは、可能性に満ちた名であり、常にどれか一つの名ではない

※「老子の教え」解説より引用です。

と解説されています。

更には、

あなたが何かにおびえているとしたら、それはただ、ものごとのにおびえている

だけではないだろうか。

あなた自身が作りだしたに、おびえているだけれはないだろうか。

そのことを理解すれば、あなたは意味のわからぬ不安から解放されるはずだ。

※「老子の教え」解説より引用です。

とも付記されています。

これに対応する原文中に、「道」という言葉が出てきます。

つまりは、世の中を、世界を今の世界たらしめている、根源的な作用、

普遍的な法則、というものが、「道」という理解でよいのでは?

そして、そのような根源的な「何か」など存在しない。

と著者である安冨氏は、仰りたいのだと考えられます。

 

それと、対比して、我々人間が、言葉や知識で

物事や観察対象を規定しようとする働き、

主観による評価、認識といったものを

「名」として定義されているように思われます。

西洋の哲学では、「形而上学(けいじじょうがく)」を基礎としており、

世の中には唯一無二の原理・原則がある、それを知性にて探求し

明らかにしようとする学問体系が発達してきた経緯があるとされています。

このような背景が、当然であった西洋の知識人には、

唯一無二や、普遍性を否定する枠組みで、世の中を捉える

「道」

なる教えは、相当な衝撃を与えたものと想像できます。

だたし、同時にその深い洞察に感銘を受けた人達が後生に伝えようとした

おかげで二千年の長きに渡り、

「老子」

の教えが、大切に継承されてきたのだと思われます。

 

 


疲れた心を癒す、珠玉の教え。ワクワクしながら生きる事のススメ!

 

では、実際の老子の教えを、

原文と、口語訳とともに見ていきましょう。

特に、仕事に生きる我々世代にとって、響く言葉達を選んでみました。

※以下の書籍を参照し、要約しています。

 

老子・荘子の言葉100選

老子・荘子の言葉100選

  • 作者:境野勝悟
  • 出版社:三笠書房
  • 発売日: 2008年03月

 

 

#上善は 水のごとし(老子八章)

 

最上の「よい」状態は、たとえれば 「水」のようなものと言えよう。

水は、万物に利益を与えながら、決して争う事はしない。

水は、入れ物によって形を変える柔軟性と謙虚さを持っている。

人が、誰しも、上へ上へと目指すなか、

水だけは、反対に下へ下へと流れ、やがて最後は母なる海に流れ込む、

偉大な存在である。

もっとも有名な、老子の言葉として広く知られている一節。

融通無碍(ゆうずうむげ)で、謙虚い生きる。

それこそが、偉大で感銘を与える生き方である、と。

そのような境地に達したいものですね。

 

 

#その身を後にして、身先んじ、その身を外にして、身存す(老子七章)

 

「お先にどうぞ」の精神で、他の人達をたてようとすれば、

かえって他の人達から慕われる事になって、自分らしく生きる事が出来る。

無心の心で、損得という考えから、外に身を置いて、人のため尽くすから

いつしか自分が得をする。

 

自分の利益を優先すると、いつの日か孤独になり、淋しい余生をおくる事になる。

※競争マインドで、他人を出し抜こうという生き方が、不幸を招く。。。

出世が気になって、周りとの競争マインドに傾きそうな時に、思い出すとよさそうですね。

 

#不善なる者も われまたこれを 善とせん(老子四十九章)

 

世の中の、是非善悪というものは、絶対的なものではなく、

「いい」、「悪い」は川の流れのように、時代や場所とともに変わってしまうであろう。

自分の固定観念から自由となり、虚心坦懐で、物事を観察できる心持ちでいるよう

心掛けるべきである。

 

自分の正義を押しつけない。他人の正義にも、耳を傾ける。

争わないマインド、結局は自身の心身の健康にとって大切になってきますよね。

 

#ぼく、は小なりと雖も(いえども)天下能く臣とすることなし
(老子三十二章)

 

ぼく、(山から採取されて、皮がついたやせ細った木)は、

なんの役にも立たない。しかし、これは人に使われないという事をも意味している。

つまり家来とか、下僕となり、権威者の言いなりになって、卑屈な思いをしながら

生きなくともよいのである。

 

老子は、労働自体は賛美しているものの、精神的苦痛を伴う

使役については、これを否定する立場をとっています。

つまりは、組織などにうまく適応できなくともよい、そのような場合には

主体的に、心で楽しいと感じながら、ワクワクして生きればよい、そう解釈できますね。

AIで仕事が奪われる、と不安を煽る世情でもある一方で

ベーシックインカムなどで、最低限の生活賃金が保障される時代の到来も予想されています。

無理に労働しなくとも良くなった際、自由な時間を手に入れて、

さあ、あなたは何をしますか?

そうなれば、もう「忙しい」は、言い訳になりません。

老子の遺した言葉達に、耳を澄ませて考える時間を

持ちたいですね。

 

#功成り名遂げて退くは、天の道なり(老子九章)

 

仕事などで、ある程度の地位と名誉を得たならば、

春が、春の役割を終えて、夏に地位を譲るように、

身を退く事が、自然の摂理と言える。

 

お勤めの身であれば、やがては「定年」を意識すべき時が

訪れます。。。

その際に、果たして泰然自若として、後進に道を譲れるでしょうか?

とても勇気がいる事でしょうね。

個人的には、この場合の「功績」は他人からの評価のみならず

自分の価値観で、「やり遂げた」と言える仕事における業績や

なんらかの結果を残せた際に、自らの判断で、

「退く」もありなのでは?

と考える次第です。

また退かずとも、小休止して考える。

なにか、別にやりたかった事に目を向ける。

そういう心の余裕が、今の閉塞感を打開する鍵になる可能性もあり得ます。

逆に、まだまだ気力も充分で、自分ではやれる、出来ると思っていても

「定年」がそれを許さない場合も多いのではないでしょうか?

そうなりますと、とても苦しむ事になるかと予想されます。。。

私としては、自らの潜在意識を見つめながら、「天の道」を迎え入れたいと

考えています。

 


 

まとめ

 

仕事や、生活にいきずまり、を感じている際に、

中国の古典哲学である、「老子」は、

ひとり静かに読む事で、とても効くと思われます。

固定概念に囚われず、冷静に物事を観察する。競争心理に煽られる事なく、

他人の役に立つには?という視点で行動する。

無理をせず、心のおもむくまま、ありのままに生きる。

仕事であれば、引き際の際の心構えも準備しておく。

よりよい健康寿命のために、こうしたマインド・セットの大切さを

二千年の時を超えて、働き盛りの我々に働きかけてくれている。

そのように感じました。

おつきあいいただき、誠にありがとうございます!