伊能忠敬と間宮林蔵の生き方に学ぶ、困難の乗り越え方。

 

私を含む、40代以上の方にとって、仕事のやりがい、

について、ふと考える事は多いのではないでしょうか?

そして、日々いろいろな困難にも直面している事と思われます。読書が趣味である私から

そんな時に、とても勇気を与えてくれる一冊を紹介したいと思います。

 

間宮林蔵新装版

間宮林蔵新装版

  • 作者:吉村昭
  • 出版社:講談社
  • 発売日: 2011年10月

 

江戸時代、幕臣(江戸幕府にお仕えした身分)として

「組織の一員」

であった、間宮 林蔵(まみや りんぞう)は、

樺太(からふと)探検に情熱を傾け、数多の苦難を乗り越えて、

ついに、偉業を達成し、後生に至るまで

その名を歴史に留める事になりました。

どのような思いでいたのか?

なにが、彼を突き動かしていたのか?

彼を取り巻く人達は、彼をどのように見ていたのか?

小説を通してではありますが、

今生きる我々のヒントとなりそうな事について、私なりにまとめてみました。

 

 

 

樺太は、半島か?島か?地政学の観点からも意義ある、樺太探検。

 

間宮林蔵(まみや りんぞう)について、どの程度ご存知でしょうか?

歴史の教科書では、

樺太探検を成し遂げた事について記述してありますが、おそらく多くの方にとっては、

当時、彼が置かれていた日本や世界の情勢はどうであったか?

どのような物語があるのか?

そういった事にまで、興味を持ち得ないのではないでしょうか?

実は、私もそうでした。

多くの歴史小説を書かれており、その魅力的な筆致が好きで、ときどき読む

吉村 昭氏のご著書のなかから、ふと

「間宮林蔵」って、どんな人だったのかな?と漠然と興味を感じたのがきっかけです。

結果、とても面白かったので、今回ブログ記事にまとめる事にしました。

また、たんなる感想ではなく、自分も含めて今に生きる忙しいビジネスパーソンにとっても、彼の

生き様から、なにか感じ取れる事があるのではないか? 明日からの自身の行動になにかよい変化

をもたらす事は出来ないか?

そういった観点から、記事を書いてみようと思い立ちました。

サブ・タイトルにありますように、当時、樺太というのは、実は世界中が注目していた事が本書に

書かれています。

※以下、本作品からの引用です。

樺太については、日本、中国、さらに西欧の三方面からの探索がおこなわれていた。

樺太の対岸にある沿岸州を東韃靼として領有していた中国では、海をへだててサハリン

という島があることを知っていた。その一方では、日本が樺太南部をあきらかにしていた
ので、サハリン島と樺太とは別々のものであると考えられ、

樺太が島であるか、

それとも東韃靼との地つづきである半島なのか全く見当もつかなかった。

樺太、について地図も含めて、わかりやすくまとまっているサイトがありますので、

以下ご覧になると、物語の背景を知る参考になるかと思います。

※一般社団法人 全国樺太連盟のサイトです。

http://kabaren.org/karafutowoshittekudasai/

間宮林蔵は、その功績から、樺太とユーラシア大陸間の海峡に、

「間宮海峡」として名を残していますね。

以上の引用からも当時、日本の為政者であった、江戸幕府にとっても安全保障の観点、

今でいう地政学の観点からも

樺太について、より詳しい情報を集める必要があった事が伺われます。

そんな情勢にあって、詳細は省きますが、いろいろな因縁から、間宮林蔵が

「樺太探検」に赴く事になります。

 

伊能忠敬より、蝦夷地探索の情熱と測量記述を学ぶ

 

間宮林蔵は、幸運にも、すぐれた人物との出会いを果たします。

それは、伊能忠敬(いのう ただたか)でした。

 

伊能忠敬

伊能忠敬

  • 作者:童門冬二
  • 出版社:河出書房新社
  • 発売日: 2014年02月06日

 

 

 

この方に関しましては、日本地図を作った、という史実として、多くの方がご存知かと

思われます。

昨今では、ビジネス書にも、伊能忠敬の生き方、仕事の仕方に学ぶ!!

などの特集が組まれるほどの

人気者ですが、ご本人は、どうお思いでしょうね笑

彼は50歳にして隠居、

それより測量術を学ぶ事に専念し、なんと55歳という年齢で

(当時としては高齢者、であったと言えます)

蝦夷地、今の北海道まで測量にいったという、

とても健康かつ精力的で、情熱的な人物であったと推察されます。

この小説でも、

そんな伊能忠敬と対面した際の、間宮林蔵が驚嘆する様が描かれています。

伊能忠敬は、本当に測量が好きで、ワクワクしながらやっていたのだと思われます。

家長としての任務は、さっさと譲って、やりたい事に全エネルギーを注ぐ。

そして、前人未到の業績を成し遂げる。

まさに、理想とする漢(おとこ)の生き様ですよね。

また、伊能忠敬は自分を頼ってきた、間宮林蔵に、

惜しげも無く自分の測量技術を伝えたとされています。

きっと、ワクワクの後継者、と見初められたのでは?と想像しました。

 

「一生好きな仕事をして生きていってよし」困難を乗り越えて、公儀より恩典を賜る

 

間宮林蔵の樺太探検は、気候の影響を受けて何度も頓挫したり、

同行するアイヌ人との交流に苦労したり、

盗賊などに狙われて、命の危険にさらされたり、、、

どうして、そんなにまでして探検を続けるのか?

読者はそんな気分にさせられます。

実際、探検を命じている幕府としても、なんとしても完遂せよ、と命じている訳でもなく、

また、うまく事を運ばなければ、罰せられる、というような状況でもなかった事が

読み取れます。

では、なぜ彼は、こうした困難を乗り越えられたのか?

これには、シンプルな理由が見出せます。

それは、

「彼自身がどうしても探索を完了させたかった」

「ワクワクしながら、探索していた」

この一点に尽きると、私は思っています。

もちろん、責任感、使命感もあったはずです。

樺太北部の調査のみを命じられていた彼は、あるとき東韃靼の地に入り、

その実情をさぐる事を思い立ったようです。

以下、本文から引用します。

しかし、東韃靼へ入りたいという欲望は、つのるばかりであった。

樺太調査を完全なものにするには、東韃靼へおもむき、その実情を把握する必要がある。

当時、幕府の許可なく異国の地に入る事は、場合によっては極刑(死刑)が課せられる

危険性があったわけです。

それでも、彼のワクワク・エネルギーは、そんな恐怖をも凌いで、結果、

期待された以上の実地調査、世に言う「樺太探検」を成し遂げた、と私は解釈しています。

もちろん、小説なので筆者の想像や脚色が入る余地はあるかと思われますが、

それでも、きっとこんな想いであったのでは?、そうに違いない。。。

登場人物の置かれた状況を臨場感をもって、読者に追体験させてくれる。

吉村 昭氏の本には、こうした魅力があります。

 

無事江戸に帰国し、樺太の紀行文と地図を資料を提出した彼は、後日

江戸のお奉行さんに出頭を命じられます。

ここへきて、無許可の異国探査の罪を問われる事を気にかけていた彼は

(冷静になって、やばいぞこれは。。。と焦っていたのでしょうね笑)

旅に疲れて体調がすぐれないので、しばらく暇(いとま)休暇を下さい、と申請します。

このあたりは、取り憑かれたように、探検をしていた頃の彼とはうってかわって

神妙で、やや計算高い、人間くさい部分が描かれているなと感じられます。

そんな彼に、幕閣中枢が下した裁定は意外にも

「一生無役」

でした。

これは、一定の仕事に拘束されることなく、自由に仕事を選べることを意味する、

恩赦、恩典とされています。

このような破格の待遇に、おそらくとても満たされた思いになったことでしょうね。

この小説で、一番好きな場面です。

 

何歳になっても、情熱を傾けられる事に、全精力をそそぐ。

そして、それが自分だけでなく、誰かのためになるもの、

そうした目標と一致していれば

必ず報われ、同時に自分も幸せな気分になれる。

 

今、忙しい我々こそ、たちどまってこの事を考えてみたいですね。

お読みいただき、ありがとうございました!!