「傾聴」から始まる、クレーム対応の心構えとは?

過剰なサービス精神が生み出したかも知れない、「クレーマー」。。。

こうした「クレーマー」にお悩みの方もいらっしゃるかと思います。

 

※クレーム対応は、心身を蝕みます。。。

 

仕事の生産性をさげ、精神的にもダメージを受ける「クレーマー」への対応。

クレーマーとの遣り取りは、心をすり減らし、

健康寿命に悪影響である事は

ほぼ間違いありません。。。

今回は、これにつきまして、

どういった「クレーマー」がいるのか?

こちらが消耗しないために、彼らに対してどのように対応するのがよいのか?

考えていく事に致します。

 



 

 


クレームするためだけの、クレーマーが増えてきているそうです。。。

 

クレームへの対応。。。

これは社会生活を送っていくなかで、会社勤めであれば、

社内の人同士あるいは、取引先の相手など。

私のように勤務医の場合には、

他の医療スタッフや、

患者さんとの関係性において発生する、

トラブルに発展しかねない、面倒な事態であると言えます。

そして、とくにお勤めでない方であっても、

ご近所付き合いにおいて、例えば

「ゴミの出し方」

「部屋からの騒音」、「悪臭」などなど。

 

集団での社会生活を送っている以上、

ときに自身がクレームを

言う側になったり、誰かに言われる側になったりという事が

どうしても起こり得るかと思っています。

まずは、それらの主張が、ちゃんとした根拠に基づいているのか?

ただ感情的になっているだけではないのか?

なにか不利益を被ったため、それに対する補償や改善を求めての事なのか?

こうした点を、是非意識する必要があると言えます。

 

人が社会生活を送る以上、避けられない「クレーム」の問題。。。

 

 

 

そもそもは英語である、クレーム、claim。

これが、日本では(どちらかというと否定的なニュアンスで用いられるという)

間違った使われ方をしている、という

実に興味深い指摘をしている書籍があります。

 

ディベートで超論理思考を手に入れる 超人脳の作り方

 


ディベートで超論理思考を手に入れる 超人脳の作り方

 

 

苫米地博士は、非常に個性的な方ですが、理路整然とした論理展開で

いつも新しい視点を与えてくれるため、私自身は多くの書籍を愛読させてもらっています。

 

この本の中で氏は、

Claimというのは、

ある課題に対して、自分が最終的に伝えたい主張(これがclaimのそもそもの定義)に向けて、

data  (客観的、数字で表せるような指標)を、まずは準備して、

それを駆使して、

誰もが納得できて、あらゆる反論に対する確固としたwarrant (根拠)を整える事。

より正確なdataと、矛盾のないwarrant。

これらが組み合わさって、

初めてclaimとして成立する、としています。

 

そして、このような思考経路を意識して

議論を重ねていく事を、

ディベート」と呼ぶそうです。

 

よって、dataが、間違っていたり、ウソであったり

warrantが独りよがりであったり、

意味不明であったりしたら

claimは存在しえない事になる訳です。

 

これは、とても重要な指摘だと思われます。

そうなりますと、確かに、怒りにまかせて自分の立場だけを主張したり、

そもそも言っている事自体が、誤解に基づいていたり、

間違ったりしている場合には、それは

本来の使われ方であるクレームにはならない、という事になりますよね。

 

更に重要な点として、氏は、「ツイッター」による

情報伝達そのものに対してもするどい批判を展開されています。

それは、140文字(今では280文字に拡大されましたが)程度で、

正確なデータや、矛盾のない論拠を示しようがない。

にも関わらず、さも、誰かのツイートが「正確な情報」として拡散される。。。

これがいかに危険な事であるのか、我々は認識すべきである、と。

例えば、学校や会社内で、ある事件が起きた場合。

「あいつが、たぶん犯人だよね。。。」のようなつぶやきがおきた際。

面白半分であっても、またたく間に拡散されて、そういう雰囲気が

醸成される危険があるわけです。

これらは、典型的な、

客観的事実、根拠なき 主張

に該当しますね。

真に受けないように、こうした理性的なディベート思考が必要です。

 

少し長くなり恐縮ですが、そもそも、「クレーム」とはなにか?

まずは、これを見つめる事が大切だと考え、書かせていただきました。

これは、誰か他人に対して、

「クレーマー」かどうか?を冷静に判断する際にも有効ですが、

自分が誰かに対して、なにかを主張する場合に、

いわゆる「クレーマー」になっていないのか、自省や自戒する必要もあるのでは?

という思いもあっての事ですので、ご了承ください。

 

今の世の中、誰しも少し余裕がなくなっていて、

個人的な感想として、どちらかというと「不寛容」になっている気がしています。。。

そういうなかで、気晴らし、鬱憤ばらしのためだけの、クレーム。

「クレームするためだけの、クレーム」なる事例が確実に増えてきていると

されています。

 

次からは、こうした相手に対してどのように対処していくとよいか。

考えていく事にしましょう。

 



 

 


クレーマーの種類を見極めよう!

 

まずは、こちらがわの過失で迷惑をかけてしまって、それに対する

改善を求めてのクレーム。

これを、「善意のクレーマー」と呼ぶことにします。

こうした方々とは、場合によっては話し合いで円満に解決できる可能性があるかと

思われます。

ただし、こうした方々でも、最初はとても感情的になっていたり、

こちらの話を聞いてもらえなかったり、という事態もあるかと思いますので

対応には注意すべきかと考えます。

 

そして次に、明らかに「恐喝」まがいであったり、最初から

多額の金銭を要求してくるような悪意をもって、クレームを言ってくる

人たちもいるかと思われます。

こうした「悪意のクレーマー」に対しては、明らかに一個人での対応の限界を

越えていますので、速やかに他に人や、

所属する組織全体で対応するべきであると言えます。

これに関しては、ひとつ面白い映画をご紹介しておきます。

 

故・伊丹十三監督作

「ミンボーの女」

 


ミンボーの女<Blu-ray>

 

です。

いわゆる ヤ◯ザの、民事介入暴力を扱った社会派の映画です。

舞台は、架空のホテルで、理不尽な金銭要求がエスカレートするなか、

女性弁護士さんの力を借りて、スタッフ一同毅然とした対応を示す事で、

ついに撃退に成功する、という痛快な社会風刺劇です。

 

娯楽作品でありながら、

これは今でも組織の「悪意のクレーマー対応」の教科書にしてよいぐらいの

完成度を誇っている、のでは?

と いち映画ファンとして思っています。

 

そして、これが一番難しいのですが、どちらにも属さないクレーマー。。。

時として善意をちらつかせながら、突然キレる!

もっとも厄介で、こちらの消耗が激しい

「境界型クレーマー」

も確実に存在しているように思われます。

 

しかしながら、いずれの種類の「クレーマー」であっても、

初期対応、つまり一番最初にどのように接するか?が

もっとも大切であると言えます。

 

昨今、特に相手の言い分を、落ち着いて聞く

「傾聴」

がクレーム対応として有効であろう、という臨床心理学的な考え方が

示されています。

これには、私も賛成の立場です。

では、これにつきまして

私なりに、warrant (根拠)を示しながら、主張!(claim)笑

紹介したいと思います。

 

 



 

 

 

 

 


クレームは初期対応がもっとも肝心!相手の話を落ち着いて聞く、「傾聴」の心得。

 

勤務医である私にとって、もっとも身近な、

「診察の待ち時間が長い!」

というクレーム、という具体例をあげながら、「傾聴」について考えてみます。

 

現状、多くの病院では、平日の外来診察の受付時間というのは、

だいたい午前9時から、11時前後に設定されているところが多いと言えます。

そうした制約があるなかで、

初診の方。

紹介状持参の方。

救急外来から、専門外来へ紹介されてくる方。

再診の方。

みなさん、一人ひとりに丁寧な診察が要求されています。

では、一人あたりの待ち時間を短くするにはどうすればよいか?

一番シンプルな解決策は、外来担当の医師を増やす、という事になりますが

これは人員的な問題、物理的な診察スペースの確保などの問題から、すぐには

困難な場合が多いです。

よって、申し訳ない事に、どうしても診察の待ち時間は、

「長く」なってしまいます。。。

こうした中でも、、やはり医療スタッフは常に、「待ち時間が長い!」

という言葉を投げかけられます。

もちろん、体調の悪い方をながい時間、声をかけずに座ったまま待たせない、

などの、病院側の配慮は必要と言えます。

また私も、必ず

「おまたせして、すいませんね」と言う事は心がけています。

それでも、待ち時間についての不満を訴える方には、

まずは、こちらも落ち着いて「観察」させて頂いたり、

「傾聴」させて頂くようにしています。

 

急いでいるのに、予約時間に診てもらえなかった事が不満なのか?

そもそも、待ち時間はひとつのきっかけで、

診察姿勢自体に不満を感じていらっしゃるのか?

受付から、待合室に至るまでの案内が不親切であったり

スタッフの対応に対して不満があったのか?

などなど。

こうした微妙なニュアンスは、こちらも焦っていたり、イライラしていると

当然見落としてしまい、後々重大なコミュニケーション・エラーにつながる

リスクがあると思っています。

 

 

※なぜ、なにに対して、なにが目的で「クレーム」を言っているのか。

こちらは落ち着いて、よく見て、よく聞きましょう。

 

 

自分の主観や、反論を交えず、ひと呼吸をおいて

「傾聴」に努める事で、自分と(ときにはクレームではないか?と思われる主張をぶつけてくる)

相手との関係性を、俯瞰してみる事が可能になります。

 

そして、私自身は、

そのクレームの矛先が私自身に直接向けられていない場合は、

一向に気にせず、相手が落ち着くまでは、言いいつづけていただくようにしています。

自分としては、ひとりずつ丁寧に時間をかけて診察しているので、

診察予約が増えれば、当然待ち時間は長くなる。

それでも、常に時間どおり診て欲しい!というのは現実的に不可能なので、

そのような主張をすべて遵守するためには、言っている人を含めて

適当な診察になるがよいか?という反論を、心のなかに準備しながら、傾聴、しています。

 

私としては、患者さんには、医師とラポール(安心できる、相互の信頼関係)

を築きながら通院していただきたいと思っています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB

*wikipediaの、ラポールの用語解説にリンクします。

 

そのためであれば、先のdata、warrantに基づいた、

claim(クレーム)であれば、双方どんどん議論していってよいかとさえ、思っています。

 

よって待ち時間の件以外でも、ときに感情的な言葉を投げかけてこられる場合には、

まずは「傾聴」が終わってから、

ところで、診察は続けますか?

次回の予約は取られますか?(もしお嫌であれば、別の担当医をご紹介します)

というような対応になる事も、ごくまれにあります。

 

当初感情的なクレームがよく聞かれたかたも、

上記のとおり「傾聴」から始まり、毅然としてお話する事で、

幸い態度が軟化され、今では、自分としては、よい雰囲気で診察させて頂いていると

感じられる経験もしております。

 

患者さんの不安な気持ちには、精一杯寄り添うつもりでおりますし、

ご指摘のなかで、改善すべきは改善に努めるようにします。

それでもクレームを言い続ける事は、お互いにとって

精神衛生上よくないですし、

治療にもよい影響は与えませんよ。。。

外来であれば、無理に自分のところに通院しなくてもいいですよ。。。

そのような非言語的なメッセージで、

落ち着きを取り戻していただきたいところです。

 

※クレーム対応係が、こういう映像とともに「傾聴」してくれたら

怒りが鎮まりそうですよね。

 

私事でもありますが、傾聴から始まる

「クレーム対応」は、忙しい医療現場のスタッフにとっても

自分の心身を守る際に、なくてはならない必須のスキルかな、と考えています。

 

まとめ

 

 

健康寿命に悪影響である、「クレーム対応」。。。

まずは、そもそもそれがクレームとして成立しているのか?

クレームを言ってきている相手の言い分を、落ち着いて「傾聴する」事を意識しましょう。

そして、自分自身も時に、「クレーマー」になっていないだろうか?

にもご用心を。

 

〜ご案内〜

 

来月、和尚さんのご指導による傾聴を含めました、

マインドフルネス・滝行を広島にて開催致します。

 

詳細は、以下のリンクをご参照ください。

ご興味ある方は、是非どうぞ。お待ちしています!

https://peraichi.com/landing_pages/view/2ywkf

 

 

滝行でマインドフルネス??